法人の沿革

 法人の沿革1  きっかけは、「ヘレン・ケラー女史」

(故 米山起努子 女史の肖像画)

昭和23年、かの有名なヘレンケラーさんが来日し、名古屋で講演が行われました。その講演を聴いていたのが、当法人の創始者、故 米山起努子。

彼女は、ヘレンケラーさんの講演に大いに感銘を受け、視覚・聴覚に障害を持つ子どもたちがいきいきと暮らすことができる場所をつくろうと考え、私財を投じて、昭和25年4月20日、名鉄名古屋本線東岡崎駅より東へ10分ほどの緑豊かな小高い山、万燈山のふもとに、盲ろうあ児施設を開設しました。

 

 

 

 法人の沿革 2  盲児施設・児童養護施設の2事業制へ

旧米山寮

 (平成17年3月に解体されました。)

その後、昭和29年2月12日、社会福祉法人として認可され、児童福祉法に基づいた盲ろうあ児施設となりましたが、昭和38年1月、ろうあ児部門を廃止し、同時に、地域の要請に答え、養護施設(現在の児童養護施設)を新設しました。

幾度かの定員変更を経て、盲児施設(定員17名)と児童養護施設(定員40名)の2事業を行う社会福祉法人として、平成を迎えました。

 

 

 

 

 法人の沿革 3  急傾斜地災害弱者関連施設に指定・・・緊急避難へ

緊急避難先(岡崎東病院旧病棟)

 (H17年10月までここで生活しました。)

昭和62年ごろ、周辺開発の影響で大量の雨水が施設内に流入し、また地下水脈の変化により、施設内の地盤が緩み、建築構造物の老朽化が進み、「急傾斜地災害弱者関連施設」に指定されました。

さらに、平成9年2月の地震により、建築構造物に大きな亀裂が生じ、平成13年2月の地震で、より危険となったため、同年6月10日、市内洞町地内の岡崎東病院様のご厚意により旧老人病棟に緊急避難し、平成17年10月までの4年余りをこちらで暮らしました。

なお、新施設建設のため、多くの方から様々なご支援をいただきました。本当にありがとうございました。

 法人の沿革 4  「米山せきれいの郷」での生活がはじまりました

米山寮全景

待ちに待った「子どもたちの家」が愛知県岡崎市洞町字八王子「米山せきれいの郷」に平成17年10月22日竣工し、同30日より、児童養護施設「プティ ヴィラージュ」、盲児施設「米山寮」の子どもたちが暮らし始めました。その後、平成18年4月1日からは乳児院「ひよこハウス」、平成21年4月1日には、洞町字白羽根の1戸建をお借りしてプティの分園「ルミエール」も仲間入りし、総勢90名ほどの子どもたちが元気よく暮らしております。

これまでのご支援、ご指導、本当にありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。